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売られた花嫁マリー・ルイーゼ

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ハプスブルグ家の皇女として1791年12月12日に生まれたマリー・ルイーゼ
(ドイツ語だとマリア・ルドヴィカ、イタリア語だとマリア・ルイーザ)

時はフランス革命、そしてナポレオンの登場で欧州動乱の時期と重なり、
皇女として生まれたにも関わらず、亡命生活を余儀なくされる日々。
住んでいたシェーンブルン宮殿をナポレオンに侵略され、
二度に渡って追い出され、ハンガリーやボヘミアなど
中欧を点々とする幼少時代。
彼女にとってナポレオンは「憎き戦争屋」以外の何ものでもなかった。

ナポレオンには当時ジョゼフィーヌ皇妃がいたが
浮気性で派手な生活を好む彼女との間に子供が出来なくて悩んでいた。
そしてフランス皇帝として跡継ぎをもうけられない皇妃とは
別れる」と決意。

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 (ジョゼフィーヌ/ナポレオンの最初の妻)

跡継ぎを産む事でしか地位を確定できなかった当時の女性には
心が詰まる思いだが・・・
どこの国でもこういう状況だったのだろう。

そしてなんとナポレオンは、この自分が攻め入ったハプスブルグ帝国の皇女
マリー・ルイーゼをフランス皇妃として迎えたい!と言ってきたのである。
もちろんマリー・ルイーゼは「絶対にイヤです」の一点張り(当たり前!)

しかし悲しいかな、彼女が「NO」と言う事で、ハプスブルグ帝国が再び
ナポレオンを敵にして、メッタ打ちにされ、没落の一途を辿る事に・・・
帝国の没落か、皇女の犠牲か・・・
政治家や皇族の答えは火を見るより明らかである。

マリー・ルイーゼは父フランツ皇帝から、メッテルニヒ外相から、
「国家の事をまず第一に考えなくてはならない・・」と言われ続け
悩んだ挙げ句、ナポレオンと結婚する決意を固め、
1810年4月2日、ルーブル宮で結婚式が行われた。
マリー・ルイーゼ18歳、ナポレオンは40歳
所詮、皇女1人が悩んだところでどうにもならない運命だった。

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 (ナポレオンとマリー・ルイーゼの結婚式)

彼女の大叔母はあのマリー・アントワネット
政略結婚でフランス王妃になり、そして断頭台の露と消えてから、
まだ17年しか経っていなかった。
結局当時の王族や貴族の娘にとって親に従順に従い、
政略結婚して子供を産む・・・
ハプスブルグ家では特にそういう風に教育されてきて、またそれ以外に
彼女たちが生きていく道はない。

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(1812年頃/フランス皇妃マリー・ルイーゼ)

ただ男女の仲は分からないもの。
憎き男に「売られた」花嫁だと思ってハプスブルグ家では
マリー・ルイーゼに同情していたのだが・・・実はそうでもなかったようだ。

ナポレオンは戦争ばっかりして支配欲が強く、人殺しばかりしている、という
軍人としての面では彼女にとってマイナスだが、夫としては優しく
気のつく男性だったようで
次第にマリー・ルイーゼは彼に惹かれて愛するようになる。
女性にとってはなかなか魅力的な男性だったのかもしれない。

そして待望の男児ナポレオン2世が誕生!

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    (ナポレオン二世)

ナポレオンは自分の息子が生まれた時、はらはらと涙を流して喜び、
回りの人達がその光景を見て感動するほどだったと言われている。
そして子煩悩ぶりを発揮し、子供との時間を大切にしていたようで
そういう事からもマリー・ルイーゼの、彼への気持ちは
増々強くなっていったと思われる。

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(1839年頃/パルマ公妃のマリー・ルイーゼ)

しかし幸せの日々もそう長くは続かない。
その後のナポレオンの没落は、あまりに有名な歴史事実だ。
マリー・ルイーゼは息子と共にまた亡命の日々を迎えることになった。

結局またもや運命に流されたマリー・ルイーゼは
イタリアのパルマ公国女王として第2の人生を歩む事に。

1821年にナポレオン死去、そして1832年21歳という若さで
息子ナポレオン2世を結核で亡くし、イタリア統一運動が激しくなる1847年
マリー・ルイーゼも56年の波乱に満ちた生涯をパルマで終えた。





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テーマ:歴史雑学 - ジャンル:学問・文化・芸術

ナナ

現代社会の先触れであると言われる19世紀のパリ。
共和国と独裁制、革命、経済発展、万国博覧会とキラキラと輝きながら
発展しつつある世紀末パリの片隅で根なし草になった人びとがたむろする。
第二帝政期の娯楽の王といわれたオペレッタの創始者オッフェンバック

そんなパリを背景に貧しい階級から貴族への「復讐心」が主人公ナナ
豊満な体からムンムンと漂ってくる濃厚小説と言えばよいか・・・
後半部分に入るとそこに「女から男への復讐」まで加わった感が満載だ。

ナナ (新潮文庫)ナナ (新潮文庫)
(2006/12/20)
ゾラ

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ナナのモデルと言われる第二帝政期の高級娼婦ブランシュ・ダンティニー
作者のエミール・ゾラは実際には会っていないらしいが、
当時こんな放蕩の限りを尽したケタ違いの享楽がパリにはあったのだろう。
その享楽のなかで人間が徐々に堕ちてゆく様を見事に描いている作品だ。

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(『ナナ』のモデルと言われているブランシュ・ダンティニー)

また画家マネルノワールも、こうした娼婦たちにインスピレーションを得て
女たちを描いている。

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(マネの『ナナ』1877年)

このマネの絵は、当時の高級娼婦を描いた、というよりも
表情,しぐさ,アクセサリー,ドレス…,すべてが洗練されて嫌らしくなく、
ファッション雑誌の1頁のような感じを受ける。

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(ルノワール『桟敷席』1874年)

当時の女性が最も華やかに映える場所のひとつであった劇場の桟敷席
そこで思いっきりお洒落をして人々の注目を集めるのが、高級娼婦の役目でもあった。
隣の男はオペラグラスで、また別の美しい女を眺めているのかもしれない。
女性の大きく開いたデコルテに何連ものネックレス、
そしてプレゼントされたであろう薔薇の花がさりげなく美しい胸元を
飾っている。
そんな第二帝政期の日常・・・

男を破滅させ、自らも短い命を燃やし尽すファム・ファタル
これぞフランス文学の醍醐味。
ナナのモデルのブランシュ・ダンティニーも小説さながらの
32歳という若さで亡くなった。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

夏の終わり

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Momento del tramonto a Foce varano in Puglia

ヴァカンスから戻ると家のまわりは秋の気配だった。

暦をめくるように季節の変わり目というのは
また新たな始まりを運んでくる。

その一方で五感はまだ倦怠に包まれ、海の残り香を
逃すまいと専念しているかのようでいて
精神的には迫りくる秋を意識し、街に戻る際には
以前繰り返していた生活を再び思い出すような
心がけを始めている。

眠っていた街も今週あたりから本格始動。
私もそろそろ体内時計を元に戻さなければ・・・

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