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カスティリオーネ伯爵夫人

Contessa di Castiglione

第二帝政時代のフランスでウージェニー皇后のライバルだった
カスティリオーネ伯爵夫人をご紹介。
個人的にもとても気になる存在である。

悩ましい写真が目を惹く・・・
彼女の瞳は薄い紫がかった青緑色だったと
言われていて、それを想像するだけでも
かなり魅力的な貴婦人だったと勝手に思っている。

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カスティリオーネ伯爵夫人、ヴィルジニア・オルドイーニ
1837年3月23日フィレンツェ
フィリッポ・オルドイーニ侯爵とイザベッラ・ランポレッキ夫人の娘として
生を受けた。
まだイタリアは統一された国ではなく、各地でリソルジメント運動が
盛んに叫ばれるさなか、という状況。

cavour.jpg
    (カヴール宰相)

ヴィルジニアは17歳になる少し前、1854年1月9日
カスティリオーネ伯爵と結婚し息子ジョルジョを授かる。
1879年に天然痘で死亡)

彼女の従兄にカヴール宰相(後のイタリア王国初代首相)がいて、
イタリア統一に強国フランスの協力なしでは成しえないと
考えていたカヴールは美しく成長したニッキア(ヴィルジニアの愛称)に
「貴女の持てる限りの”武器”を使って
ナポレオン三世に協力を仰いでください」と依頼。

そしてニッキアは嬉々としてパリへ向かった。
(しかも旦那も一緒に!!!)
ヨーロッパの宮廷で「もっとも美しい貴婦人」として
一世を風靡したヴィルジニア。
ナポレオン三世の妃、ウージェニー皇后も
気が気でなかったに違いないだろう。
なんせ当時ナポレオン三世といえば女たらしで名を馳せていた。

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そしてニッキアの”ミッション”は滞り無く進んでいく。
ある晩のパーティーでの事、ウージェニー皇后は来客への招待状に
「湖畔の散策などありますので、襟の高いドレスを着て来てください」と
書き添えた。
が、しかしヴィルジニアただ一人、夜会服
(つまりデコルテが広く開いたドレス)で
現れた、というエピソードが残っている。

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もちろん皇帝をはじめ、回りの男たちの視線を釘付けにした事は
間違いないだろう。
ウージェニー皇后は露骨にイヤな顔をした、という記録まで
残っているそうだ。

05.jpg
  (クリノリン・ドレスの全盛期!)

1856年にはナポレオン三世のお気に入り
コンピエーニュ城へもヴィルジニアは招待され、
ウージェニー皇后は一応「見て見ぬ振り」で黙っていた・・・が、
「夫のいつもの気まぐれですわ」と強気な発言。
しかし心中は嫉妬に狂っていた。

高慢で自信たっぷりのイタリア女ニッキアは、他の女性とは一切口を聞かなくなり、
いつもデコルテの大きく開いたドレスを身にまとい、
男たちの視線を一身に浴びていたのだとか。

皇帝からも5連にもなる美しく高価なパールのネックレス
プレゼントされたりして、いつの間にか皇帝の寵妃として
宮廷中を練り歩く日々・・・
壮絶なる女の闘いが繰り広げられていた事だろう・・・恐ろしや。

ヴィルジニアは日々こまめに日記をつけていたが、それがかなり面白い。
つまり「暗号化」されているらしく、
意味不明な数字の羅列などで一見して何を書いてるのか分からないが、
実は皇帝との逢い引きについてだとか、
その他の愛人たちの事についてだとか、まあ事細かに記していた。

もちろん彼女の本当の使命、イタリア統一の必要性
とくと寝物語に皇帝に聞かせ、その反応や彼の意見を逐一カヴールへも
報告していた。いわばスパイである。

ヴィルジニアには記録に残っている(つまり彼女の日記等から)だけで
43人もの愛人がいたと言われている。
同時進行も数人と、なかなかやり手のヴィルジニア。

しかし年々年を重ねるにつれ、美貌も(もちろん肉体も)衰える。
花の命は短くて・・・である。
ニッキアのように「蝶よ花よ」で生きてきた、
贅沢三昧の貴婦人には耐えられない現実だった。
晩年、彼女の部屋のは全て裏側を向けられていたとの
エピソードが残っているが、想像しただけでも痛ましい光景である。

1899年11月28日永眠。62年の生涯だった。

彼女の葬儀の日、イタリア大使館や警察は彼女の家を捜索し、
ナポレオン三世ロスチャイルド家
ビスマルク侯カヴールピウス9世に関する
様々な書類や書簡、手紙を押収して破棄したらしい。
つまり政界、財界、聖職界まで、イタリア統一
色々な思惑や取引が絡み合っていた証拠である。
それだけ何か「秘密」が隠されていたのだろうか。

そう考えるとヴィルジニアの”仕事”がいかに責任重大だったか、
ただただ気の合う愛人たちと快楽の限りを尽くしていたワケでは
なさそうだ。

そして彼女の暗号化されたいくつかの日記だけが残った。


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テーマ:歴史雑学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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